2025 RECRUIT

”住まいのサプライヤー”って何だ?

キタケイの人と仕事を大特集!

VOL.1 人と環境に優しい無垢建材を世界に求めてVOL.1

松山 広平 / 2002年入社 営業推進部 海外課 係長 坂林 知己 / 1995年入社 営業推進部 海外課 課長

『リラクシングウッド』
ブランディングプロジェクト

北恵は商品を仕入れて供給するのみならず、自らオリジナル商品の開発にも取り組んでいる。コンセプトは人と環境に優しい無垢建材。商社としてグローバルなネットワークを活かし、原料調達から生産管理、輸入、販路開拓と、多彩なビジネスに取り組んでいる。

新しい専門商社像の構築を目指し、「グローバル化」と「ものづくり」を推進

新しい専門商社像の構築を目指し、「グローバル化」と「ものづくり」を推進

柱や梁などの構造材をはじめ、天井や床、壁、ドア、階段などの内装材、サイディング(外壁)や門扉などのエクステリア、キッチン、バス、トイレなどの住宅設備機器…等々、住宅を構成する部材・設備機器は非常に多岐にわたる。北恵は「住まいのトータルサプライヤー」としてこれら膨大な住宅資材の中から、建築主や住まう人のニーズに合わせた商材を全国のビルダーや工務店、木材店などに対して選択、提案、供給している。

北恵は、次の時代における新しい専門商社像の構築を目指し、さらなる進化を遂げるため、商社の中核機能である「流通」だけにとどまらず、「グローバル化」と「ものづくり」を積極的に推進。 1986年、オリジナルブランド「リラクシングウッド」の開発はそんなところから始まった。

海外課を設置し、タイを拠点に無垢フローリング材の輸入ビジネスをスタート

海外課を設置し、タイを拠点に無垢フローリング材の輸入ビジネスをスタート

この経営方針のもと、1986年、海外課を社内に設置した。
「当初はタイにいる駐在員を含めて3人でスタートしました。大きな使命を担って発足した海外課でしたが、正直言って何をするかまったく白紙。その頃は大手総合商社を除いて、業界内でも海外に進出しているところはほとんどなかったですし…」と、責任者だった北村は当時を振り返って語る。

どんな商材を扱うのか、どんなビジネスモデルを構築するのか、方針が定まらないなか、1年半が経過したとき、北村は一つの決断をくだした。「よし、フローリング材でいこう。それも無垢で! フローリング材は国内販売ですでに大きな実績を持っていたので、同じ商材を輸入しても面白くない。そこで私たちが選んだのが同じフローリングでも“無垢”でした」

方針が定まると話は早かった。すぐさまタイに飛び、現地のメーカーが製造した無垢フローリング材を買い付けた。しかも6コンテナという大量の商品を買い付けたのだ。
「当時、会社から許可された在庫枠は200万円に対して、初回の買い付け金額は3,000万円にのぼりました。販売先も確保していない状況の中で、しかも会社に黙って買ってきたものだから社内は大騒ぎになりましたね」

しかし北村には勝算があった。「当時は、バブル景気で新しい差別化できる高品質の住宅資材が求められていました。ハウスメーカーでもまだ無垢フローリングは採用されておらず、必ず売れると確信していました。でも今から考えるとちょっと無謀だったかな!?」

北村は北恵の全国の営業拠点に対して無垢フローリングをPRし販売を依頼するとともに、ハウスメーカーや建材商社などにも積極的に売り込みをかけた。狙い通り営業活動は順調に進み、2年後、無垢フローリングの輸入ビジネスは軌道に乗った。

自社企画によるオリジナルブランド「ユーロオーク」が大ヒット

自社企画によるオリジナルブランド「ユーロオーク」が大ヒット

しかし、北村はこれだけでは満足していなかった。自社企画によるオリジナルブランドの開発という次なる目標に向けて、すでに走り始めていた。

商品開発のコンセプトは“人と環境に優しいフローリング材”。当時、東南アジアにおいて破壊的な森林伐採が行われ、木材の輸入制限が叫ばれるという事態が起こっていた。木材の輸入に関わる北恵にとってもこの危機的な状況を憂い、何とかしなければいけないと考えていた。そこに浮上したのがラバーウッド(ゴムの木)だった。

ラバーウッドはゴムを採取するために計画的に植林されている木材で、採取後は伐採され捨てられていたもの。それを木材としての価値を活かし、フローリング材にリサイクルしようというものだ。ラバーウッドなら環境への負荷は小さい。樹の質感も明るく落ち着いた安らぎを与えてくれる表情で問題はない。そしてなんと言っても価格がリーズナブルだった。

「東南アジアを代表する木材としてチークやカリンがありますが、資源が少ないため高価にならざるを得ません。無垢のフローリング材が認知されはじめ、採用を検討する住宅メーカーが増えている中、よりいっそうの市場拡大を図るためにも、住宅メーカーが採用しやすい価格帯の商品開発が急務となっていました。その意味でもラバーウッドは一石二鳥の材料でした」

商品開発では高品質でありながら価格をリーズナブルに抑える一方、従来品よりも幅を広くすることで無垢感を演出。こうしてオリジナルブランド商品「ユーロオーク」が誕生した。北村の読みはズバリと当たり、「ユーロオーク」は発売と同時に大ヒット。住宅資材・建材の分野で北恵は不動の地位を築くこととなった。

東南アジアから世界へビジネスを拡大し、「リラクシングウッド」をブランディング

東南アジアから世界へビジネスを拡大し、「リラクシングウッド」をブランディング

「ユーロオーク」の大ヒットで業界のパイオニアとなった北恵は、その商品アイテムを広げるため、“東南アジアから世界へ”をテーマに、中国へ、ヨーロッパへとビジネスを拡大していった。

中国を担当したのは1995年に入社した阪林だった。最初に赴任したのはタイ。そこで輸入ビジネスの流れと提携工場での品質管理を経験した後、東南アジアで成功したビジネスモデルを他の国でも構築すべく中国へと向かった。中国へ進出した目的は、ナラやカバ、カエデ、クリ、タモなど、東南アジアでは得られないが日本の住宅ではよく使われる樹種を調達するためだ。 「無垢フローリング」の販売戦略上、商品アイテムの拡充は非常に重要。その大切な使命を入社間もない阪林が担うこととなった。

「タイには海外課設立当初から参画している者が駐在していたが、中国には誰もいません。中国という巨大市場を自分が中心となって開拓していくんだ思うと鳥肌が立ちましたね。と言っても、北恵は中国では何の実績もなく、一人で開拓するには大き過ぎます。そこで信頼できる現地のパートナーを探すことにしました。たくさんの工場を見学しましたが、規模が大きく、技術と設備がしっかりしている工場はそう簡単には見つかりませんでしたが、ようやく青島に見つけることができました」

中国では1997年から生産を開始。商品ラインナップの拡充に大きく貢献したことは言うまでもない。

商品の調達先として次に目を向けたのはヨーロッパだった。なかでも北欧を代表する樹種レッドパインに注目した。

レッドパインは住宅・インテリアデザインの先進国北欧で長い間親しまれてきた樹種。温かみのある木肌にはきれいな活き節があり、素材感・自然感を存分に味わうことができる。日本でもアカマツの名称で人気があり、このレッドパインをフローリング材だけでなく、羽目板やドア材にも展開することとなった。
北欧レッドパインシリーズは1999年からフィンランドで生産を開始。これによって北恵の海外ビジネスは世界中の樹種を揃えられるまでに発展した。

そして2002年、これまで拡充してきた商材をいったんスクラップ&ビルドし、再シリーズ化して統一。『人と環境に優しい北恵の無垢建材~リラクシングウッド』にブランディングし直した。

海外課のさらなる事業拡大に向け若手のホープが参画。大手建材メーカーへのOEM供給というビッグビジネスに挑戦

海外課のさらなる事業拡大に向け若手のホープが参画。大手建材メーカーへのOEM供給というビッグビジネスに挑戦

「リラクシングウッド」はその後も商品アイテムを増やしながら順調に売上を伸ばし市場を拡大。業界内においても北恵の海外課は大きな存在となっていた。無垢建材の需要はますます高まることが予想され、海外課のさらなる発展に向け事業拡大を図るため、新たなメンバーとして加わったのが入社2年目の松山だった。

「2002に入社し大阪住資営業所で1年営業を経験し海外課に異動してきました。もともと海外ビジネスに携わりたいと思っていたので、希望が叶って嬉しかったですね」

輸入や貿易実務、国内販売など一通りの業務を経験した松山に巡ってきた最初の仕事が、国内の大手建材メーカーとの共同製品開発をタイで行うというビックビジネスだった。北恵が展開する海外ビジネスを高く評価したある大手建材メーカーからビジネスパートナーとして指名されたのだ。

「この商談がまとまれば売上は年間数億円にのぼります。ワクワクしましたね。 植林木という環境にやさしい材料を使用し、海外の提携工場で生産というスキームをプレゼンテーション。メーカー担当者にも海外の提携工場を視察してもらい、その保有する技術や設備、品質管理体制をアピールしました。結果は大成功。担当者にも満足してもらい、この時点で商談はほぼ基本合意に達していました」

商談はスムーズに進んだ。しかし、思わぬところで大きな問題が待ち受けていた

商談はスムーズに進んだ。しかし、思わぬところで大きな問題が待ち受けていた

商談はスムーズに進んだが、喜ぶのはまだ早かった。色やサイズ、加工方法などの細かな仕様、生産量や出荷・輸入スケジュールなど、まだまだ詰めの作業が残っており、ここからが松山にとって大きな試練となった。

「実は、商談が決まってからの方がたいへんでした。部材のカラーバリエーションは全部で5色。しかし実際にタイの工場から送られてきたサンプルは、指定の色とはかなり違ったものにあがっていました。電話でタイの工場と交渉するも、どうにも伝わりません。そこで急きょタイに飛び、現場で直接指導することに。何度も何度も色出しを繰り返しました。そしてやっと仕様通りの色を出すことができました」

「現地のタイ人はまだまだ品質管理に対して認識が甘く、それを理解してもらうのに一苦労でした。このほかにも板の角を斜めに少しカットを入れる仕様だったのに加工精度にバラツキがあるなどトラブルが続きました。次から次に出てくる問題を一つひとつクリアーし、ようやく2007年夏に出荷することができました。丸2年かけたビジネス。港に商品が到着したときは、大きな充実感と達成感が込み上げてきました」

タイで構築したビジネスモデルを、今後どう展開していくかが事業拡大のカギを握る

海外課のさらなる事業拡大に向け若手のホープが参画。大手建材メーカーへのOEM供給というビッグビジネスに挑戦

北村は言う。「今回の事例は、一つの大きなビジネスを成功させただけにはとどまりません。 海外におけるビジネスパートナーとして選ばれた北恵が、その期待に応えるためのノウハウを有しており、かつ成功に向けての努力を惜しまない人財に富んでいることの証であると認識しています。今後この経験を活かし、どう次の展開に繋げていくかが、さらなる事業拡大のカギを握っています。海外ビジネスはますます面白くなりそうです」

そして松山も、「今回のビッグビジネスを通じて貴重な経験を積むことができ、大きな自信になりました。『リラクシングウッド』と北恵の持てる能力を、もっともっと内外にアピールしていきたいですね」と、次のビジネスを仕掛けるべく、すでに動き始めていた。

舞台は整った。北恵は君の登場を待っている!!

北恵がこれまで取り組んできた海外とのビジネスは国内外で高く評価され、 2003年にはサントリーと販売業務提携を結び、ウイスキー樽材を再利用した「樽ものがたり」シリーズの販売を開始。
さらに2007年にはフランスの大手建材メーカーと提携し、PEFC認証材「マリティムパイン」の販売を開始するなど、世界をフィールドに植えつけてきた芽は着実に成長し、今新たなビジネスとして花を咲かせている。

舞台は整った。そこでどんなパフォーマンスを発揮するか…。北恵は君の登場を待っている!!